天野塗装    親父の体験談

休憩時間に出た話題・・・

左の写真は(有)天野塗装の前身 天野塗工店 創業者天野幸朗
(私の父)です。
父は1968年に独立した当初、左官材料店の誘いで
学校の校舎が木造から鉄筋コンクリート造りに建てかえられるころ
吹付け塗装の工事をやっていました。

当時はまだ吹付け塗装が一般的な施工方法ではなく、試行錯誤しながら始めた職人です。
(洗い出しリシン・スプレーリシンと呼んで当時の吹付け工事は左官屋さんの仕事でした。)

今ではリシンと言えばアクリルリシンですが、当時はリシンと言えばセメントリシンでした。
セメントリシンは白セメント・消石灰・顔料・撥水剤・珪砂をまぜて作っていたそうです。
2回塗り仕上げで、1回目は撥水剤を入れずに吹付けるので綺麗に吹けるのですが、
2回目は撥水剤を入れるのでむらになりやすく、苦労したそうです。

このセメントリシンは長持ちしたそうですが、乾きが遅くかぶりやすい(乾燥後白っぽくなる)ので
施工が難しいため今のアクリルリシンが開発され、一般的に使われるようになったのでは、
と言っております。

その後出てきたのが吹き付けタイルという物で、西ドイツのボンという会社が開発したボンタイルを
真似したものをよく吹いていたらしいです。
それは樹脂・顔料を混ぜて吹き付けた後クリヤー仕上げだったそうです。
(これも結構長持ちしたそうです。)
そういえば最近まで吹き付けタイルといえばボンタイルと指定されていたような気がします。

それと養生と言えば今はテープ付きビニールとかノンスリップビニールとか有りますが、
当時は養生紙をノリで貼りつけていたそうです。
このノリの濃さと塗り具合が非常に難しくノリが濃すぎることが多く剥がすほうが大変だったらしい
です。(そりゃそーですよね。)
このころになると私も物心がついた頃で多少憶えがあるのですが、よく現場に連れていかれました。
もちろん仕事にいった訳ではなく保育園が休みの時についていったのですが、仕事の邪魔になるので
監督がしかたなく遊んでくれていたみたいです。
(のどかだったんですねー)今では考えられません・・・

そのころは朝、新聞屋さんで古新聞をかってから現場に行くのが日課だったそうです。
(新聞紙とマスキングテープで養生をしていました)

私の父親はそのころ沢山の腕が良い職人と仕事をしてきたせいか、こだわりが多くうるさい親父だと
思っていましたが、今考えると親父が良い親方だったので感謝しております。
(まだ現役バリバリです。)

まだまだ話しは続きますが、あとはまたにします。
話すと長いんですよ〜(笑い)

 


 

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